一里塚とは織田、豊臣時代に、一里(36町、約4Km)ごとに
五間四方の塚を設置したのが始まりで、徳川幕府も慶長9年に
江戸日本橋を基点として、全国の主要街道に設けたものである。
その目的は里程(道のり=距離)や、人馬賃銭の目安であった。
元三日町から始まる笹谷街道の最初の一里塚は小白川町の
至誠堂病院前の道路添いに「大神宮」碑があり、その左下に
「一里塚」の文字が見える。二番目は防原町の入口稲荷神社の
石塔があるところで、土地の字名も「一里塚」とあり、現に稲荷さ
まに行く作場通も入口が広く、塚跡とも考えられる。
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