34 新山の一里塚跡の荷渡権現

新山の月夜橋の東袂に素朴で簡素な小さな社、荷渡権現
がひっそりと祀られている。
 荷渡権現は新山、関根両宿場の神である。ここには笹谷
街道の山形城からの三番目の一里塚があった。
一里塚とは織田、豊臣時代に、一里(36町、約4Km)ごとに
五間四方の塚を設置したのが始まりで、徳川幕府も慶長9年に
江戸日本橋を基点として、全国の主要街道に設けたものである。
その目的は里程(道のり=距離)や、人馬賃銭の目安であった。
 元三日町から始まる笹谷街道の最初の一里塚は小白川町の
至誠堂病院前の道路添いに「大神宮」碑があり、その左下に
「一里塚」の文字が見える。二番目は防原町の入口稲荷神社の
石塔があるところで、土地の字名も「一里塚」とあり、現に稲荷さ
まに行く作場通も入口が広く、塚跡とも考えられる。